れいわ新選組や立憲民主党内部で、緊縮政策から積極財政出動への転換を掲げる勢力が力を増している。現下の庶民の生活苦をともかく早急に改善する必要があり、そのためには緊縮政策からの転換が不可欠であるのは間違いない。

しかし、「積極財政出動や消費税の廃止、財源としての国債発行や所得税累進性の強化などによってデフレから脱却でき、経済をふたたび成長軌道に乗せられる」というシナリオは根本的に限界を持っている。

なぜなら、デフレ不況の真の原因は、企業の利潤率の低下であり、これは国家による財政政策や税の配分で変えることができないからである。

利潤率はなぜ低下するのか。一つは、超過利潤、先行者利益を獲得するための新たな市場が地球上にもはや存在しなくなりつつあるからであり(中国やアフリカ諸国を見よ)、二つ目は、AIやロボット利用によって製造、サービスを問わず、固定資本による省力化がより一層進行していくからである。利潤は生産物の付加価値から生まれるが、それは労働力の剰余労働によるしかない。しかし、企業が市場競争を勝ち抜くために必要なコストダウンは、必然的に固定資本の増大と、利潤の源泉である労働力の削減を余儀なくさせる。これは、市場経済と私企業をベースにする資本主義システムでは、たとえ国家が最低賃金制やベーシックインカムなどによって政策介入し、一時的に緩和できたとしても、本質的には避けられない。

もちろんイノベーションによって需要を喚起する新しい商品が生み出される可能性は存在する。最後の新規商品はコンピューターと金融商品だったが、それ以降は存在せず(AIやロボット、ドローンなどはコンピューターの派生商品である)、今後何が、いつ開発、商品化されるか誰も予想できない。それをあてにした経済運営は不可能である。従って、利潤率低下を抑えるため労働力を切り捨てようとする企業のドライブは今後も駆動していくことになる。つまり到来するのは、省力化(無人工場、無人店舗)と残る労働者の奴隷化である。

この30年の間に、日本の労働者の40%以上が非正規雇用となり、その平均賃金は正社員の1/2、250万円以下に抑え込まれ、その結果、金融資産ゼロの人びとの割合も、まもなく50%台に乗ろうとしている。つまり2,500万人におよぶ労働者が貧困に陥っているということである。その家族や年金生活者を含めれば、国民の約半数がギリギリの生活に喘いでいることになるだろう。これはもう資本主義システムが生産と配分をコントロールできず、破綻しつつある事態というべきである。新しいイノベーションの到来まで貧困は待ってはくれない。

問われているのは、緊急政策としての財政出動や減税にとどまることなく、資本主義システムがすでに破綻しつつあることを見据えて、新しい経済システムをどう作り出していくのかである。

なお資本主義の限界について補足すれば、この間、資本主義は、利潤率の低下を補うために、銀行、証券などの金融資本が、資本を企業に貸付ける方法(利子生み資本)ではもはや利益を確保できないため、リスクの高いサブプライムローンなどの個人の住宅ローン負債を債務証券化した上でそれを複数組み合わせたものを商品とし、その売買によってハゲタカ的な高利を獲得する方法(高利貸し資本)に傾斜していき、それが国際金融市場で中心商品になったこと、そしてその結果が2008年のリーマンショックとなったことである。しかし、もともと高利貸し資本は資本主義システムを必ずしも前提にしない前期的な商業資本の形であり、資本とローン債務者(労働者)双方から収奪する結果、社会を破壊することになる。つまりこの側面から見ても、資本主義は資本主義を否定する奇怪な金融資本に依存しなければ、もはや自らを維持できなくなっているのだ。

10.30.2019