以下はウエブザインEND NOTESに掲載されているもので、2021328日に開催された「何が起こったのか」と題されたRed May(左派のyoutubeプラットフォーム)主催のパネルディスカッションでのIdris Robinsonの発言を文字起こししたものの翻訳である。この発言は、2020年のアメリカで、ジョージ・フロイド氏をはじめ警官による黒人殺害事件が連続し、それに対する抗議と反乱がかってない規模と速度で燃え広がったことを活動家であるRobinsonが振り返ったものだが、短いものであるにもかかわらず、言外に黒人殺害の根元にある歴史的構造的な差別に対する激しい怒りが漂っており、ほとんど詩的なスタイルになっていて示唆されることも多い。Robinsonは、このディスカッション後の7月、おなじRed Mayで「それはどのように為されねばならないかもしれないか」と題する講演を行なっており、高祖岩三郎氏によって翻訳されHAPAXに掲載されているが、彼がどのような方向をめざそうとしているかを知ることができる。


 

CIVILIZING THE AMERICAN WASTELAND アメリカの荒野を人間化する

何が起こったのか?

起こったのは、

ドカーンと、574回に及んだ反乱と2,382件の略奪である。

特筆すべきなのは、97台の警察車両が焼かれ、39人の警官が撃たれ、9人が車でひき逃げされたことである。

だから、ここでは何が起こらなかったかを話すことにしよう。

2020年の3月から6月にかけて起ったことは、大部分が「平和的抗議」だったこれまでの運動の延長線上ものではなかった。

もちろん、ハワイアンTシャツを着たおバカな白人の若者たちによって煽られたものでもない。

この国の深部には、黒人革命家が反乱の主導権を取ることへの恐怖が流れているので、リベラルも保守も、つまりMSNBCFOX Newsも、誰が(この反乱を説明できる)狂った陰謀論を創り出せるのかをめぐって互いに競いあっている。

これらは単に、アメリカ史上、最も規模が大きく、最も燃え広がったこの反乱を点火したのは本当は誰だったかという事実を覆い隠そうとする動きに他ならない。

かってジェームズ・ボールドウインはこう語ったことがある。「黒人のアメリカ人であることが危険であることの一つは、統合失調症(schizopherenic)になることだ。文字通りの意味で」と。

ほんの一瞬、この言葉を字句通りにかつ比喩的にとらえようと一息入れさえすれば、役柄は根本的に逆転することになるだろう。白人たちの混乱はわれわれの正気となり、白人たちの混沌はわれわれの平安となる、と。

だがこの反乱のさなか、治癒不可能な神経症を患い、混乱した習慣を抱え、孤独で、孤立しているとしても自律した者たちとアメリカの荒地に住まうゾンビ(undead)たちの群の中に、おそらくはこれまでで初めて人間らしさを私たちは垣間見たのだ。

それはファノン主義者たちによる人間化プロジェクトが始まったことである。このプロジェクトは、ファノンの『地に呪われたる者』の最後に、真の人間化のためのミッションとして描かれている。

しかし、それを垣間見たのは、銀行からも保護観察官からも解き放たれた屋外奴隷たちと共に走りながら、ほとんど精神的なレベルで、それゆえ社会運動(social movement)というよりむしろ非運動的(non-movement)に反乱に参加した者たちである。

しかしそれでもなお、私は鎖が締め付けてくるのを感じる。そして彼らがこれからもどれだけの間、私にここでこうして立ち上がり、こんな類のことを話させようとするのだろうかと思案する。

つまり、一年以上もコロナウィルスの疫病が続き、騒擾があり、自然災害があり、幾多のことが起こったにもかかわらず、多くのことは以前と変わらずそのままなのだ。

たとえば、黒人を除けば、99.9%のアメリカ人は今だに二つのカテゴリーのどちらかに属することを続けている。このことが二大政党システムに反映されているのだが、二つの党は、片方が露骨なレイシストであり、他方は自己愛的で迷惑で鬱陶しいだけなのだ。

実際にはるかに多いのは、二つのカテゴリーが混ざった最悪の代物である。

危機が炸裂し、抑圧されたきた者たちが戻ってきた時、この国の防衛メカニズムが全幅で発動される。

これが(黒人の)学者たちの専門用語がよけいに中身がなく虚ろに響く理由である。

ただし、Yannick Giovanni MarshallDr. Joy James だけが、語るべきことを語る勇気を持っていたように見える。

残りの黒人知識人たちといえば、災難に直面したブルジョワモードをどう演じるかそれぞれ固有のやり方で工夫し続けていただけであった。

彼らにとって自己執着が、黒人闘争組織を無視するには一番いい方法のようだ。なぜなら彼らは、炎上し略奪される路上にいる兄弟姉妹たちに言葉をかけることなどまったくできないからだ。

私たちの社会はまだ、根本的な問題を巧みに避ける工夫のすべてを動員できるということを忘れないでおこう。

根本的な問題とは多様性(diversity)とか、包摂(inclusion)などということではない。

またbipocsという用語が対象としているような、それが誰であれ、何者であれ、有色の人間にどう対応すべきかということでもない。

根本的な問題とは、bipocsではなく黒人たち(black niggas)が牢獄に閉じ込められているという事実であり、ほとんどの人が、そしてあなた自身さえも、少なくとも無意識のレベルでは黒人たちがそこに属していると信じていることである。

ほとんど1日置きに若い白人が学校やスーパーマーケットで銃撃事件を起こしている。だがこれらの事件が、若い黒人が車のバックミラーに消臭スプレーをぶら下げていること以上にアメリカ人の心に恐怖を引き起こすことはないのだ。

 

2021.8.13