安倍内閣は急速に右に舵を切り、現行憲法が象徴する戦後体制(彼らは戦後レジームと呼ぶ)を破壊しようとしている。憲法の下で構成された内閣が、表現の自由を蹂躙する現代版治安維持法「特定秘密保護法」や、戦時内閣の準備としての「国家安全保障会議法」を強行採決したり、「集団的自衛権行使も自衛権の範囲にある」という内閣の解釈だけで合憲に持ち込もうと画策しているのは、明白に憲法違反、憲法破壊であり、事実上の極右派のクーデターだというべきだ。そしてその方向が「日本を取り戻す」というスローガンの下で「戦前日本の再興」をめざしている以上(つまり、究極的には国家に主権を持たせ、国民から主権を奪おうとしている以上)、安倍内閣を支える勢力をファシストと呼んでさしつかえないだろう。

もちろんこの右傾化=国家主義化が、アメリカとの関係で大きな矛盾を抱えていることは明らかである。中国やロシア、北朝鮮を含む現在のアジア情勢の下で、片務的な安保条約に象徴されるアメリカへの従属的な関係をすぐには精算できない以上、国家の自立はどこまでも中途半端なままにとどまり、彼らの願望は「見果てぬ夢」にならざるをえないからだ。また自民党内の護憲派との内部対立もいずれは先鋭化してくるだろう。

しかし、事態はかならずしも楽観できない。安倍内閣がアメリカとの関係で、たとえばTPPがそうであるように無様に妥協せざるえなかったり、領土問題をめぐって中国との関係が一時的にせよ悪化した場合に、安倍内閣の内外からより過激なフィシストグループが台頭してくる可能性があるからだ。すでにその徴候は、ファシスト田母神の新党立ち上げ構想や、アメリカからの自立を主張する維新や一部の国家官僚の台頭に現れている。また在野では、在特会などの排外主義運動も、現在はカウンター運動の反撃で一時的に守りの体制に入っているものの、必ずも沈静化しているわけではない。

だから私たちは、事態をシリアスにとらえるべきだ。ファシズムとのたたかいをどうくみ上げて行くべきか、真剣に検討すべき時期に入っている。

一番大きな問題は、安倍内閣がこれだけあからさまに憲法違反をおこない、戦後体制の精算に着手しているにも関わらず、世論の内閣支持がなお高いレベルにとどまっていることだ。なぜか?

一言でいえば、日本の中でナショナリズムの水位が上昇しつつあり、安倍内閣がその上に乗っているからに他ならない。

だとすると、問題はこのナショナリズムの上昇傾向にどう立ち向かうかということを抜きに安倍内閣を包囲し、倒すことは困難だということになる。

この課題をめぐって、私たちはすでに『愛と平和のナショナリズム』で、単純なインターナショナリズムを対置するだけではナショナリズムに対抗できず、「閉ざされた排外的なナショナリズム」を、同じ土壌の上に立つ「開かれた愛と平和のナショナリズム」の回路へ導くことでしか対抗できないと指摘した。一言でいえば「ナショナリズムをナショナリズムで制する」ということだ。

だが、それは本当に可能なのか?(未完)