安倍晋三と、いまや大半の自民党議員たちが呑込まれている国家主義は「日本を取り戻す」というスローガンを掲げている。ここには当然取り戻すべき「かって存在したあるべき日本」が想定されている。

そして、「現在、『かって存在したあるべき日本』が失われてしまっている」という苦い認識が存在している。彼らの多くがかかわりをもっている国粋団体「日本会議」の主張を見ると、彼らにとって「あるべき日本」とは、天皇を元首としつつ、他の国家に対して独立し、自立した国家であり、それを担保する軍事力を備えた国家なのだろう。

だが、そもそもなぜ現在の日本が「あるべき日本」でないのか。それは端的にドイツ、イタリアとともに枢軸を組み、連合国とたたかった第二次大戦で敗北したからに他ならない。

敗北の結果、アメリカに占領され、1951年のサンフランシスコ講和条約で主権を回復した後も現在にいたるまでアメリカの軍事的、政治的コントロール下にある。たとえば、アメリカ占領軍が起草した現行憲法の第九条の規定も、日本の再軍備を防ぐことが直接的な目的であった。

他国に軍事的、政治的にコントロールされている国家は、独立国家としての要件を欠いているのであり、国家ならざる国家として「半国家」という言葉をあててもいいだろう。

したがって論理上、「半国家であることが問題だ。完全なあるべき国家をめざすべきだ」というナショナリスティックな主張は、その心情は理解できるし、生まれてくるのも必然だとしても、すでに歴史として存在している「第二次世界大戦における敗北」を認めない(無視できないとしてもできるだけ隠蔽する)という立場にいきつかざるをえない。彼らが大なり小なり歴史を修正する欲望にかられるのもこのことが背景にある。

そして「半国家」としての日本の否定は、対中国への侵略戦争から第二次大戦へなだれ込んでいった「戦前の日本」を、取り戻すべき「かって存在したあるべき国家」として想像的に想定せざるをえないことと一体となる。

日中戦争や第二次世界大戦で敗北した結果、私たちは天皇が主権を持つ「国体」を否定し、国民に主権があるとする近代民主主義体制を受け入れ、この骨格を宣言する憲法を受け入れた。たとえそれがアメリカ占領軍によって上からもたらされたものであったとしても、戦争の敗北から学んだ私たちは、戦後に構築すべき国家体制として承認したのだ。

敗北を前提に、戦後の日本が新しい政治体制、国家体制を受け入れた背景には、自由と権利を奪われていた戦前の軍事国家へのアパシーと、軍人230万、民間80万人、合計310万の死者があった。「二度と戦争はしない、させない」という戦後の人びとの誓いはこの膨大な死者の声を受けてのものだっただろう。

国家主義者たちは「戦後レジーム」の変革を口にしている。だがそれは、結局のところ、戦敗国としての日本が連合国に強いられたものであると同時に、人びとの不戦の願いから生まれたものであり、なんの条件もなく、一方的に変更したり、改変できるものではない。

国家主義者たちが主観的にどれだけ完全な国家を望んでも、国際的にまだ「戦後レジーム」が生きてる以上、「あるべき国家を取り戻す」試みは、究極的には日米同盟(さらには連合国と連携したアジアの国々)と衝突せざるをえない。だがそれは可能か?

安倍晋三が靖国神社に参拝し、アメリカから批判が起ると、さっそく「アメリカの理解と了解」を求めるために議員たちがワシントンに出かけるなどという行為は、彼らにとって日米同盟からの離脱は考慮外にあることを端的に示すものだ。

日米同盟を維持するということは、かれらが取り戻そうとしている「あるべき日本」は、あるべき姿とはほど遠く、どこまでも独立も、自立も中途半端にしかできない「半国家」にとどまらざるをえないことを意味する。したがってそれはリアルではない、彼ら国粋主義者の頭の中だけにある「想像上のもの」(想像の共同体)に過ぎない。

私たちは国家主義者たちと違って、戦後の遺産としての「半国家としての日本」をむしろ積極的に受け入れる。半国家は、「専守防衛」が基本であり、侵略戦争への防波堤となるとともに、国際社会の中で「半国家」でしかできない独自の役割があると考えるからだ。

ところで、1990年代に入って小林やすのり氏の言説が国家主義と結びつくネトウヨ誕生に大きな影響力を持ったと言われている。氏のモチーフは、もっとも単純化していば「ある日、私たちが国家を持っていないことにふと気がつき、愕然とした」ということにあるだろう。

氏にとっての「国家がない」という感覚は、上の文脈から言えば、戦後の日本が「半国家」であり続けたということから必然的に派生しているものだ。アメリカの軍事的、政治的コントロールの下で、国家ならざる国家として、国際社会から切り離された中空に浮いた特異な政治空間として戦後の日本は存在してきたのだから。

その感覚は、実感として分かるし、多くの人たちに共有されていただろう。小林氏に先行する世代ではたとえば江藤淳や三島由紀夫もまた同様の感覚を持っていた。だが、その感覚から「天皇を中心とするあるべき国家」を願望しはじめたところから彼らはつまづいた。

小林氏もまた、国家主義者たちと同じに「半国家」が、戦争における敗北の所産として歴史的に存在してきたこと、そして人びとの暗黙の了解を受けてきたことを受け入れられなかった。だから氏の描く「かって存在したあるべき日本」は歴史的根拠を欠いた想像上のイメージにとどまらざるをえい。それが事実とは乖離している以上、そしてだからこそ歴史を修正したとしても、早晩、歴史からしっぺ返しを喰うことになる。

氏やその影響を受けた人たちは、図式的にいえば次のようなプロセスをたどるだろう。 半国家の否定→完全なあるべき国家への願望→歴史の修正(今ここ)→「戦後レジーム」がなお生きている事実に直面→敗戦の承認→半国家への(積極的)回帰。

01.11.2017