一人の人間が、2011年、ある大きな出来事に遭遇した時、人間と大地の破滅を予感した。その瞬間から、その人間は「戦争機械」に変身しはじめた。だが、そのことに周りの人間たちも、本人でさえも気付いていなかっただろう。それゆえ、その人間は固有名であるYと呼ばれ続けた。

なぜ戦争機械か。Yは、後のある対談で、大きな出来事による破滅を「動物的な感」で感受したと話している。そのときYは、恐怖に振動する情動体に変化していたのであり、いわば動物として存在していたのである。そして情動体であること、動物(的)であることが戦争機械(ドゥルーズ/ガタリ)と呼ばれる。

やがてYは、自らの予感に急き立てられ、それまでの仕事を捨てて国会議員になった。しかし、ほどなく議員の規範から逸脱した行動をとるようになる。ある時は、あの大きな出来事があたかも存在しないかのように隠蔽されていくことに我慢できず、田中正造にならい天皇に直訴状を手渡した。またある時は、あの大きな出来事の隠蔽を目論む勢力の独裁化に抵抗し、国会の中でたった一人で議決前の牛歩戦術をおこなった。また主な活動を国会の外に求め、無名の人びとの中に入っていった。

たった一人であるにもかかわらず。

たった一人であるにもかかわらず、困難な行為を貫くとすれば、その人間を駆りたてているものは正義の観念と怒りの情念以外にはない。Yの場合、この二つのドライブは大きな出来事による破滅の予感によってエネルギーが備給されていた。

Yが一人でも行動するのは、怒りが、権力の座にある者たちだけでなく、本来は権力と対峙するはずであるにもかかわらず共犯関係にある者たちに対しても向かっていたからである。

正義と怒りのドライブは、国家権力を握る勢力がめざす独裁化がファシズムであり、ファシズムこそあの大きな出来事と同様、大地に破滅をもたらすもう一つのかたちであることをYに認識させていくことになる。

大きな出来事は、国家権力を握る人間たちにとって権力を維持するための「非常大権」を要求する。非常大権とは、たとえ国家を構成する人間全員を滅ぼしてでも権力を維持しようとする支配者たちの絶望的な試みであり、破滅への道を準備することに他ならない。非常大権は、発動されれば後戻りできない。発動した者たちが誰かに打ち倒されない限りは。

この自覚以後、Yは、なおYと呼ばれながらも、一個の戦争機械として振る舞うようになる。目標が与えられたからである。この戦争機械の目的は、大地の上で正義を実現することであり、それが誰であれ、正義を阻む者たちを打ち倒すまで決して諦めることはない。まわりの空気をいっさい読まず、非妥協的に目的実現のために突き進む。

だが、戦争機械は、本来群れとして形成されていくものである。Yは一個の戦争機械として生成し、出発したが、必然的に他の戦争機械を呼び込み、あの「トランスフォーマー」のようにそれらと連結し、集合的な戦争機械となり、その力を強化していかざるをえない。なぜなら目的である正義とはもともと、ある歴史的出来事に遭遇した人びとが集合的に共有する観念であるからだ。

そして、集合的な戦争機械の一部となったYは、固有名を持たなくなるだろう。

2019年、Yは、それまでの政治的なつながりを断ち切り、離脱し、再び一人となった。それは権力の座にある者たちを打ち倒すためには、権力との妥協を迫るすべての誘惑から身を離し、退路を断つ必要があったからである。これは純粋な戦争機械となることの宣言に他ならない。

多くの人びとは直感的に、その宣言と行動に正義が回復される可能性を感じた。現在、自ら戦争機械としてYと接続、連結することを望む人たちがこの大地のあちこちに現れ、集合的な戦争機械が形成されつつある。人びとが連結を望むのは、正義とは一つの希望だからだ。

集合的な戦争機械が形成されつつあるのを眼前にして、支配勢力も、野党もみずからの陣形の立て直しを余儀なくされている。

近いうちに、ほとんどの政治勢力は国家権力をめぐる二つの陣形に再編され、分岐していくだろう。一方の戦争機械が体現するのは破滅であり、他方の戦争機械は希望である。

*動物への生成については、「ノード連合のために」の『ラヴクラフトの怪物たち』で触れているので参照されたい

2019.10.6