昨年の8月に、優生思想をめぐる大西つねき氏の除名問題に端を発したれいわ新選組の混乱と打開策について、「規約改正 -山本私党脱却いまだ見えず-」をポストしたあと、すでに一年以上経過している。だがこの間、何もコメントしなかった。

上記のポストで、れいわ最大の課題は「代表独裁制」から脱却できるかどうかだと問題提起したが、残念ながらこの問題はいまだ克服されていない。党規約の改正はこの衆院選の後に予定とアナウンスされたが、この改正で「代表独裁制」に手が着けられるかどうかは定かではない。7月に山本太郎が参戦し、敗北した東京都知事選もあったが、このような状況の中では積極的にコメントする気になれなかったのが正直なところである。

昨年9月、自公政権はアベからスガに変わったが、スガ政権はコロナパンデミック対策でワクチン供給以外終始無策であり、その結果、本来は救えたはずの命の多くを「自宅療養」路線で失わせた。さらに、今年にはいって7月、世論を無視しオリパラを強行したことで、支持率を30%を切るところまで大幅に落とした。これに危機意識をもった自民は急遽スガを降ろし、総裁選をメディアサーカスとして仕掛けながら看板を岸田にすげ替え、野党に選挙準備を与えないよう、解散権を恣意的に行使して衆院選を今月10末に前倒しにした。このあたりはアベ内閣時の手法を踏襲したものであり、通産官僚出身の今井尚哉や電通が書いたシナリオであろう。

かくてれいわは問題を抱えたまま、衆院選候補者21名を選定し、衆院選に臨むことになった。だがれいわ単独でではなく、突入の少し前に、市民連合が仲介した立憲、共産、社民三党が組む「野党共闘」のフレームに参加することになった。野党共闘はたがいに選挙区調整をおこない、意識的に「自公対全野党」の構図を作るものであり、新興野党であるれいわにとって不利になることは明らかであるが、これ自体は大いに歓迎すべきことである。ただし、最終的にれいわが一貫して掲げてきた消費税5%減税を立憲を含め野党共闘の共通の旗印にできたことの意義は大きい。しかしながら、「代表独裁制」が維持されたままの体制では問題含みだろうと予測できた。

案の定、山本太郎が小選挙区野党統一候補として東京8区からの立候補を宣言した直後に、立憲吉田はるみ氏を野党統一候補にするべく動いてきた地元の杉並から「そんな話は聞いていない」と立憲支持者が異議を唱え、山本の立候補を阻止しようとする動きが活発になり、混乱が生じた。

山本は当然それまで立憲都連と交渉を重ね、吉田氏は降りるとの了解を得た上で立候補を宣言したのだが、立憲枝野は「山本氏と交渉しているとの話は聞いているが、できれば立候補は避けてもらいたい」と曖昧に引き伸ばし、かつれいわと都連の合意を反故にする無責任な発言を繰り返した結果、これ以上の混乱の拡大はれいわのみならず野党共闘にも影を落とすことなると山本側が判断し、時をおかず(かつ交渉経過を公にして枝野に意趣返しすることなく)立候補を取り下げることで8区問題に決着をつけた。この決断は困難であっただろうし、れいわに打撃を与えるものであり内部に不満は残ったに違いないが、あえて撤退したのは妥当なものであった。ただ、出馬声明前に同じ8区で立候補者を出していた共産党の了解を取れていたのか疑問は残る。その後、山本太郎が降りたあと、共産党も候補者を降ろし、結果、8区は吉田氏を野党統一候補にすることで決着した。

8区問題は、枝野/福山体制の下にある立憲執行部が、野党共闘をシリアスな課題と考えておらず、せいぜい自党の議席を増やすために利用しているに過ぎないこと(実際枝野はその後、立憲は野党共闘という言葉は使っていないと裏付ける発言をしている)、さらにはれいわ排除の意図を持っていることを明らかにした(ただしこれは立憲国会議員全員がそうではないし、地方でも執行部の立場に同調せず積極的に共闘を進めているところもある)。れいわ排除の問題は以前にも指摘したが、立憲とれいわがポピュリズム的な部分で競合するからである。野党共闘問題は、左派と中道右派の間で揺らぐ立憲の曖昧な政治的スタンスの問題であり、これは8区問題に限らず、共産との共闘をめぐる連合への配慮(京都では政調会長の泉健太が露骨な反共発言をおこなっている)、原発廃止をめぐる国民民主への配慮などにも現れていたが、この党が果たして野党第一党として指導性を発揮できるかどうか疑問符がつくものだ。あわよくば立憲だけで政権を担い、他の野党は閣外協力に止めたいなどという「立憲単独政権」はリアリティを欠いた、まったくの幻想であるのは言うまでもない。

8区問題は他方では、れいわ側の弱点も露呈した。それは野党統一候補としての出馬を立憲枝野との間で詰め切れていなかったことに現れている。たとえ交渉過程で枝野が消極的であったことを認識していたとしても、枝野の言質を取るまでには至らず、出馬声明のあとのちゃぶ台返しを許したのは党としては大きな失敗である。交渉において山本本人の脇が甘かったとすれば、本来それを埋めるのは山本をサポートすべきれいわ幹部たちであったはずだが(もっとも、そもそも幹部とは誰なのかも明瞭になっていないが)、それが機能していなかったと考えざるを得ない。つまり降りる決断は山本一人でおこなったのではないかとの推測が成り立つ。山本単独の決断は、おそらく論議を呼んだ都知事選出馬でもそうだったのではないか。

さらにれいわは、野党共闘のための調整として、小選挙区の立候補予定者を降したり(千葉選挙区だった三井義文氏、柏市長選へ転出の太田和美氏)、選挙区替えや比例単独候補への変更などをおこなったが、おそらくこれらの調整でも「代表独裁体制」の弊害が出ていたのではないかと思われる。たとえば太田和美氏の転出はれいわのもちまわり臨時総会で決定されたと公表されたが、三井義文氏の立候補取りやめは同様の手続きは取られておらず、経緯が不鮮明であるのみならず、10月21日現在、氏のプロフィールがれいわのHPからも削除されているし、三井氏もこの件に関し何の声明も出ていないという不可解な展開になっている。まともな政党であればありえない事態である。鞍替えや比例単独への変更も、程度の差はあってもおそらく山本と立候補者との間で一定の軋轢があっただろう。

コロナ禍にもかかわらず、全国で地道に展開されてきた山本太郎自身の街宣活動は他党の追随を許さないものであり、あいかわらず強いインパクトを持ってきた。昨年の大西問題や野原問題でいったん落ち込んだ党勢を徐々に盛り返す力になっているのは疑いない。また経済学の松尾 匡氏や朴 勝俊氏らのサポートをえて作成されたであろう各種政策の緻密さも増しており、立憲の政策と比較しても遜色なく、むしろその上をいくレベルに進化している。これらの点では山本太郎の力量を文句なしに評価すべきだろう。

しかし繰り返せば、山本太郎が力をつければつけるほど、カリスマ性を持てば持つほど、代表独裁制の弊害がより露わになるのは避けられない。それは❶ 今後も党運営のゴトゴタが続くであろうことに加え、❷ 本人の過失であれ他の力が働いた結果であれ、アクシデントであれ、何らかの形で山本太郎が足をすくわれたり、❸ 重要な政治的イシューで山本が左派的立場から逸脱した場合、党が壊滅的打撃に見舞われる可能性があることを意味する。したがってこの弊害をできるだけミニマムにするために、地域を拠点にした党員中心の党運営と、それをベースにした集団指導体制にできるだけ早期に移行することが必要である。これは衆院選後、議員数が増えたとすればより必要性が増すだろう。上掲記事からこのような党の進化を促すであろう規約を再録する(2020年8月24日付け)

山本太郎のカリスマ性が持つ弱点について、一昨日、ツイッターでも言及したのでそれも再録しておく。

規約案

◉ 党は党員で構成し、党員が党の方針を決定する権限を持つ
◉ 党員は地域総支部で活動することを基本とする
◉ 党を地域総支部の連合体として組織する
◉ 党の執行機関は代表を含む党役員会とし、議決機関は党員総会、地域総支部総会とする
◉ 党の最高議決機関は党員総会とする
◉ 代表を含む党役員の任期は二年とする
◉ 党役員の選出、罷免、再任等は党員総会で決定する
◉ 事務局は党役員の下に設置し、専従者選定と処遇は役員全員で決定し、総会の承認を必要とする
◉ 支持者、ボランティアに党活動への参加制度を設ける

ツイッター

れいわは、今のところ山本太郎だけがフル装備の戦争機械として突出していて、他の同志と結合し、より破壊力のあるトランスフォーマー=集合的な戦争機械にまで成長できていない。山本独裁体制の弊害を克服できるかどうかに、れいわの未来がかかっている

最後に筆者の立場は、なおれいわに人びとの声を代弁する左派としての可能性があると考え、一定の留保を残しつつ、れいわ支持であることを明らかにしておきたい。

10.21.2021