ポピュリズムとは何かについては、Wikiの表現を借りれば「大衆の権利や利益を守るため、その直接的な支持の下で、既存の体制やエリート、エスタブリッシュメントを批判する政治姿勢」とひとまず要約できるだろう。「人民主義」や「大衆主義」という言葉が当てられるが、現代の文脈でいえば、これまでの議会制民主主義が機能不全に陥る中で、既存の回路ではなく、直接民衆の声に依拠して政治改革をやり遂げようとする試みということになる。

既存勢力やエリートたちが、自分たちを否定するポピュリズムを「大衆迎合主義」、「衆愚政治」などと揶揄し、批判するのは当然だろう。だがそうとらえ、ポピュリズムを単純に肯定してすむわけではない。ポピュリズムは常に左右の両義性を持つからである。ポピュリズムのリーダーシップによって民衆運動が左に傾く場合には革命というべき状況を生み出すが、右に傾けばファシズムを生み出す。

「だからポピュリズムを唱えることは危険だ」という主張もあり得るが、これは議会制民主主義、あるいはもっと根源的にいえば選挙による代表制そのものが機能不全に陥っている現実に眼を塞ぐものであり、悪しき保守主義、反動主義と言うべきであり、生産的なものではない。

ありえるのは、ポピュリズムから逃亡するのではなく、デモクラシーの機能不全に正面から向き合い、民衆と共にその回復に向けた新しい回路を探ることだけである。それが左派ポピュリズムである。

フランスでは一昨年11月から昨年6月にかけて、ガソリン税や年金、格差問題を契機に「黄色いベスト運動」が起こったが、この民衆運動はかってないほど長期にわたり(ほぼ半年に及び、今なお完全に終息したとは言えない)、リーダーレス(反=中心と表現されていた)で、かつラディカルであった点で群を抜く特筆すべきものであった(ついで昨年の香港の民衆運動が続いた)。「黄色いベスト運動」は、自然発生的な民衆運動としてはじまったが、やがてアンチファシズムを掲げる左派やアナキスト(ブラックブロックなど)がリードしはじめ、次に運動の広がりを見て、右派の王党派やファシストが介入してきた。その結果、左派やそれに呼応する民衆は、眼前のフランス国家権力の暴力装置である警察だけでなく、背後の右派やファシストとも闘うことになった。ここでは明白に、この民衆運動を左右どちらの勢力がリードするかをめぐって争いが展開されていたのである。メランションの左翼党などの既存の左派や労働組合は、基本的に傍観を決め込んでいた。

とはいえ、左派ポピュリズムを支持すべきだとしても、代表制そのものをカッコに入れるデモクラシーの新しい回路はまだ見出されていない。しかし新たな歴史は無名の民衆が試行錯誤しながら作り出し、形成することは確かであり、私たちはそこに賭けるしかない。回答がすぐに見つからないのは、それゆえむしろ希望であると考えるべきだろう。

2020/01/17