Nowhere to go

安倍晋三たちが、日本会議や神道連盟と一緒になってどれだけ躍起になってナショナリズムを煽ろうと、国民をそこへ連れ込もうとしている「戦後レジーム」が清算された空間とは、実はどこにも存在しえない虚構の場所だ。そこにこそ、彼ら極右オカルト勢力の根本的な弱点がある。

いま彼らは、軍備を拡張し、国内治安体制を強化し、集団的自衛権で全面的な海外派兵をめざし、最終的には憲法改悪(正確には国家主義憲法のクーデター的制定)を狙っている。もし彼らが、これらを背景に、文字通り「戦後レジームの打破」をめざしているなら、本来は第二次大戦のやり直し、つまり再度日米戦争、対中戦争に向かうことになる。

だが実際には、アメリカとの関係では「対米戦」はおろか、その一歩手前の「日米安保破棄、対米独立」さえ彼らの射程にはなく、逆に、集団的自衛権が実際には米軍の補完軍事力を意味しているように、対米追随をより一層深める道を進もうとしているのだ。

さらに、現代中国に本格的な戦争を仕掛けるなどというのも、まったくリアリティに欠ける妄想だろう。第一に、中国をグローバルな市場に巻き込み、現在の共産主義政権の瓦解をいかに軟着陸させるかというアメリカの世界戦略に真っ向から対立するシナリオであり、第二に単独で中国と戦争できる軍事的、経済的体力などないのは明白だ。

だとすると、どれだけ威勢よく「戦後レジームの打破」と言ってみても、その着地点は、せいぜい「ある程度の軍事力を持ち、戦争ができる国内体制を構築し、国民を統治できる国づくり」というレベルに過ぎず、現在の国際情勢の下では、現状をいささかも変えることのない、たんなるナルシスティックな自己陶酔ということになる。

つまり、彼らがどれだけナショナリズムや排外主義を煽ろうと、「対米自立」も「対中優位」も実現不可能である以上、とどのつまりは、どこにも行き着けない「糞詰まりナショナリズム」(あるいはその醜悪版としての「糞詰まりファシズム」)と言うべきもの転落せざるをえないのだ。

虚構やオカルト的幻想は、かならず現実からしっぺ返しをくらう。すでにアベノミクスの虚構はほころびつつあるが、彼らの「美しく、強い日本」も早晩同じ運 命をたどることになるだろう。この彼らの根本的な弱点、あるいは矛盾を正確に見定めて、彼らを追いこんでいくことが私たちの課題になるだろう。

11/2/2014

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1件のコメント

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